安室奈美恵とその母親をめぐる過去

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安室奈美恵さんといえば1995年の小室哲哉プロデュースをきっかけにブレイクを果たし、1996年には『アムラー』というファッションスタイルが流行語になるなど、当時からずっとカリスマ的な人気を誇っている歌手です。

華々しい芸能活動とは裏腹に、彼女のプライベートは必ずしも幸せとは言えないものとなっています。

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彼女自身の出来ちゃった婚から離婚に至る部分もそうですが、彼女の母親が無残に殺害されてしまったということは、その最たる物といえるでしょう。

ここでは、彼女の母親の事件について詳しく述べていこうと思います。

 

安室奈美恵の母親殺害事件

安室奈美恵の母親、平良恵美子さんは1999年3月17日に義理の弟である平良謙二容疑者に殺害されてしまいます。

殺害に当たり謙二容疑者は恵美子を車で何回もはねたうえ、ナタで殴りつけて殺害するという非常に残忍な手口で、相当な怨恨が絡んでいることは想像に難くありません。

そこまで駆立てる犯人の動機が気になるところではありますが、謙二容疑者は犯行後車で逃走し、その後服毒自殺しています。

一説には謙二容疑者の縁談について恵美子さんが反対したため謙二容疑者が怨みを持ったとの説や、金銭問題などが取り沙汰されましたが、容疑者が死亡している為その動機はわからぬままでした。

事件は娘の安室奈美恵にもすぐに知らされ、翌3月18日には仮通夜、20日に告別式と、突然の母との別れにうつむく安室さんの姿をマスコミがこぞって報道していました。

安室さんはしばらく仕事を休んだ後、3月29日放送の「HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP」の生放送でTV復帰を果たしました。

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その後、夫であるSAMさんとの離婚時に彼女の左腕には以下のタトゥーが刻まれました。

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JUN.30 in 1950

my mother’s love live with me

Eternally in my heart

R.I.P

MAR.17 in 1999

[1950年6月30日(母親の生年月日)

母の愛は私と共に生きている

私の心の中で永遠に

Rest In Peace(安らかに眠れ)

1999年3月17日(母親が亡くなった日)]

 

 

無理心中も考えた!?母の苦悩人生

安室奈美恵さんの母、平良恵美子さんは事件の半年ほど前に自身の半生を語ったエッセイを出しています。

恵美子さんはもともと(恵美子さんの)母親が米軍基地で働いていたときに米兵相手にできた子供で、父親が誰なのか恵美子さん本人も知らないような状態だったようです。

当時まだ沖縄は日本に返還されていないことから、恵美子さんは幼少時より過酷ないじめを受けていたと語っています。

そんな過酷な運命にも耐え、安室さんの実の父親である男性と20歳の時に結婚し、奈美恵さんをもうけたものの、ここでも名家である安室家から差別を受けるようになり、家庭もうまくいかず安室さんが3歳の時に離婚してしまいます。

それからは、奈美恵・兄・姉、の3人の子どもを女手ひとつで育てるため、朝から夜中までほとんど休憩無く働きづめ、過労で入院したこともあり、苦しさに耐え切れずに無理心中を考えたこともあったそうです。

その後子供たちが一人で生活できるようになった1993年ごろ、現在の奈美恵さんの義理の父となる平良姓の男性と結婚しやっと落ち着いた生活を手に入れたころ事件が起こったのでした。

 

まとめ

実の母親がその義理の弟に殺害されるという大変ショッキングな事件が、カリスマアーティストの身内で起こるという事件に、当時マスコミは連日こぞって事件について報道していました。

そんな中で母親を亡くした安室さんが悲しみにくれながらも気丈にふるまっている姿は、人々の感動を生み、TV局にはたくさんの励ましの手紙が届いていたようです。

その後、安室さんはSAMさんとの離婚もあって若干人気に陰りがでた時期もあったものの、今では再びエイベックスの看板アーティストとして年間で多くのツアーを行っています。

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